それを嫌いになれないから

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泣ける作品と泣けない作品

 泣くことって多少なりとも気持ちのいいことです。泣けばすっきりします。しかし、人前で泣いたり、現実に悲しかったり辛かったりして泣いたりするのは、どこか恥ずかしい。だから、フィクション(または自分とは関係のないノンフィクション)の世界に自分自身を投影して泣くことがよくあります。中には、そういった世界では泣けないという人もいますが、私は比較的泣ける人です。

 そんな私でも、泣けない作品というものがあります。

 例えば、映画館で見た映画では、泣けたことがありません。もちろんコメディー映画では泣けるはずがないのですが、シリアスな映画や実話を元にしたような映画、「涙なしでは見られない」などと謳われた映画、全米が泣いた映画(洋画見たことないけど)など、いかにも泣けそうな映画でも映画館では泣けません。しかし、DVDやテレビ放送などにより、自宅で見る映画は盛大に泣けるのです。以前テレビ放送されていた『北のカナリアたち』はめちゃくちゃ泣きました。

 一方、ドラマは割りと泣けます。最近だと2018年の冬ドラマ『アンナチュラル』(TBS)は結構泣きました。少し前のドラマですが『大奥~誕生~』(TBS)も最近見て大号泣しました。でも、たまに泣けないドラマがあります。みんなが泣いた泣いたと騒ぐドラマでも、泣けない時は本当に泣けません。

 また、舞台を観に行った時は絶対に泣けません。後半、感動的な感じになってきて、周りに啜り泣く声が響き始めても、目はカラッカラです。もちろん感動はしているのですが、生理現象には現れてこないのです。最近見た音楽劇『マリウス』は珍しくうるっときましたが、流れるほどではありませんでした。

 お芝居において、この「泣ける」「泣けない」は、一体何が違うのでしょうか。

 上に書いたことを参考にすると、それを見る場所が1つ原因になっているように思えます。映画も舞台も自ら足を運んで劇場へ見に行くわけです。周りには見ず知らずの他の客がいます。劇場へ向かう中で知らず知らずのうちに身構え(そんなつもりはないのですが)他人の目を意識して、泣けなくなっているのかもしれません。

 その証拠に自宅のテレビで見る映画は泣けるのです。同じ作品を映画館とテレビと両方で見たわけではないですし、そもそも二度見て泣けた試しがないので、純粋に比較はできませんが、参考程度にはなるかと思います。ドラマも自宅のテレビで見るものなので納得できます。

 しかし、舞台は違います。映像化された舞台を自宅のテレビで見たとしても、泣けたことはありません。となると別の理由を考えなくてはなりません。

 舞台は目の前で繰り広げられるフィクションの世界。私はその世界を現実とは切り離されている異空間のように感じます。現実味がないのです。まさに今お芝居を観ているのだと思って物語を追います。一方、映画やドラマは、映像として編集も加わり、よりリアリティがあります。私たちのいる現実世界と地続きのどこかにある世界で繰り広げられている現実なのだと、私は感じます。それが、観客に感情移入しやすくさせ、より泣きやすくなっているのではないかと思います。だから舞台はどこか他人事に思えて、泣くほどまでに感情移入はできないのです。先程述べた映画館で観る映画も、観る環境の違いから、違う世界に行くのだと自己暗示をかけていて、泣けないのかもしれません。

 つまり、どれだけ現実味があるか、自分の身に置き換えられるか、感情移入できるかが、お芝居を見て泣けるか泣けないかを左右するように思います。観る前から「泣ける物語」と言われると、それを強く意識してしまい、素直に感情移入できなくなって泣けないのかもしれません。

 素直に感情移入できないという点に関して、もうひとつ最近気づいたことがあります。泣けないドラマや映画について共通点を探していると、出演者に強い思い入れがあることが分かりました。要するに、好きな俳優が出演していると泣けないのです。というか、むしろ気持ちよく泣けた作品には出演者に特に興味がないことが多いのです。

 ちなみに、ここでいう好きな俳優と言うのは、私の場合、お芝居以外のお仕事も追いかけていて、その俳優の半生をそれなりに知っていて、場合によってはファンクラブにも入ってしまうほど熱烈的にハマっている人のことです。具体的に言いますと、まあ関ジャニ∞ですね。もう7~8年追いかけていますから。あと最近ですと高橋一生さんや阿部サダヲさんや宮藤官九郎さんなど。

 以前友人が、好きな人が出てるドラマは「実際の彼(彼女)はこういう人ではない」と思ってしまって見られないと言っていたことを思い出しました。その時は理解できないと思っていましたが、今なら少しわかる気がします。あまりにその人のことを知りすぎていると、その人が演じる人を純粋にその作品の中の人だと思えなくなるのです。そうなるともうその芝居を「私たちのいる現実世界と地続きのどこかにある世界で繰り広げられている現実」とは捉えられない。これはお芝居なのだと思ってしまう。自分ではそこまで意識していないというか、俳優さんが演じる役をその世界に住んでいる誰かだと、割と単純に思い込んでいるつもりなのですが、無意識のうちにどこかでそう感じているのかもしれません。そうして感情移入できなくなって泣けないのかなと思いました。

 これをまさに裏付ける面白い出来事がありました。とあるドラマで、初回では大号泣したのに、その後出演者の一人にダダハマりしたがために、最終回のめちゃくちゃ感動的なシーンでは涙ひとつでなかったという経験。これには自分でも驚きました。

 ただし、これには例外があって、昨年の夏に放送されていたドラマ『ウチの夫は仕事ができない』(日本テレビ)では、主演が私の大好きな錦戸亮さんだったにも関わらず、驚くほどに大号泣していました。7~8年も応援しているとまた違った耐性でもできるのでしょうか。謎です。

 ちなみに、フィクションの世界と言えば、お芝居だけでなく小説や漫画やアニメもありますよね。漫画やアニメは見ないのでよく分かりませんが、小説は好きでよく読みます。さて、泣けるか。

 めちゃくちゃ泣きます。

 何が泣ける作品なのか、やはり分かりません。