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舞台『マクガワン・トリロジー』観劇

 昨日7月4日に兵庫県西宮で『マクガワン・トリロジー』夜公演を観劇いたしました。 噂に凄いと聞いておりましたが、本当に凄かった。良い物を観せていただきました。とりあえず、この感動が新鮮なうちに感想を書き留めておこうと思います。まだまだ始まったばかりの公演ですがネタバレも多く含む感想となります。ご了承ください。

『マクガワン・トリロジー』公演概要

2018年6月29日~7月1日 穂の国とよはし芸術劇場PLAT主ホール(愛知)

2018年7月4日~8日 兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール(兵庫)

2018年7月13日~29日 世田谷パブリックシアター(東京)

原作:シーマス・スキャンロン

翻訳:渡辺千鶴

演出:小川絵梨子

出演:松坂桃李 / 浜中文一 趣里 / 小柳心 谷田歩 / 高橋惠子

 

  

 物語の舞台はアイルランドIRAのメンバーである主人公のヴィクター・M・マクガワン(松坂)の3年間をタイトル通り三部作で描いた物語です。関連する話もありますが、基本的にはそれぞれが独立した物語として存在しています。

 難しい話だと噂には聞いていたのですが、最も恐れていたことが起きました。話についていけない。出演者ですら稽古前に勉強会が行われたらしいのですから難しいのは分かりきったことでした。そもそも外国の翻訳劇である上に舞台となる地もまた外国。アイルランドIRAについては調べておいたほうがいいとか、パンフレットを読んでおいたほうがいいとか、すべて実行して挑んだのですがやっぱり無理でした。もうこうなったら仕方ありません。パンフレットで谷田さんもおっしゃっていましたが、話が分からなくても何か凄いと感じるのも舞台の楽しみ方の一つ。話は分かるところだけで理解して、あとはこの舞台の空気感を楽しもうと思いました。

 第一部は特に登場人物が多くて難しい言葉もたくさんあるので話についていくのも難しかったですが、とても見応えがありました。バーテンダー(浜中)とアハーン(小柳)がいるだけの静かな冒頭の店内が、ヴィクターが来てから一気に空気がぶち壊される感じはゾクゾクしました。楽観しているアハーンと恐怖で怯えるバーテンダーは対照的で、そこに現れるヴィクターは誰よりも狂っていてテンションが高い。ずっと歌って叫んで踊って騒いでいるヴィクターは凄かったです。

 ペンダー(谷田)が来て次第にヴィクターが来た目的が明らかになっていき、アハーンが追い詰められていく過程は圧巻でした。ヴィクターの狂気じみた様子がここぞとばかりに披露されます。銃声の大きさに驚き、撃たれた箇所が血で赤く染まっていることにどうなってるのだろうと謎に興奮しました。逃げ惑うアハーンや慌てているペンダー、ずっと震えてるバーテンダー、そして1人狂っているヴィクター。アハーンは本当に裏切っていたのかペンダーはどっちの味方なのかはっきりとは分かりませんでしたが、それぞれがそれぞれの想いを抱えて行動しているので物語にも深みが出てとても面白かったです。

 浜中さんはどんな役どころだろうと楽しみにしていましたが、想像以上にいい役でした。名前の並びが2番手だったのであらすじを読む限りアハーンかなと想像していたら、パンフレットでバーテンダーと知って少し不思議に思っていたのですが、バーテンダー凄かったです。1人IRAのメンバーではないので基本的に蚊帳の外なのですが、物語の端っこでずっとヴィクターに怯えながら動いてるんですよね。芯には関わってこないけど存在しているというリアリティ。時々やらかしてヴィクターに怒鳴られてはまた怯えての繰り返し。アハーンが裏切ったと疑われ撃たれるシーンはスピード感もあるし登場人物の感情の高ぶりもピークを迎える迫力あって盛り上がるシーンですが、そこでも彼は隅で隠れていたりただ震えていたりするんですよね。でもそれがリアルな反応ですし、観客としても終始バーテンダーと同じようにヴィクターの行動にいちいち怯えていました。

 そうやってずっと物語に関わってこなかったバーテンダーが最後の最後、ペンダーがヴィクターに撃たれたことでヴィクターに銃口を向けるという行動に出ます。ここが一番痺れました。結局撃つ勇気は彼にはありませんでしたが、叔父が撃たれて黙ってはいられない何かしてやりたいという人間らしい純粋な気持ちは切なかったです。ヴィクターがバーテンダー銃口を向けたところで暗転しましたが、バーテンダーも殺されてしまったのでしょうね。ヴィクターの殺人マシーンらしさが前面に出たお話でした。

 第二部はヴィクターと女(趣里)の話。ヴィクターが幼馴染であるその女を殺すためにやってきた湖畔のほとりで2人が昔話をするという完全なる二人芝居。夜ということで照明も薄暗く、一部がド派手にやっていた分、とても静かな時間が続きました。でも話は全く穏やかではない。女が殺される理由も殺されるような理由ではないし、ヴィクターが女に思いを寄せていたのに殺さなければいけないという葛藤。とても切ない胸が痛くなるような話でした。一部ではあれほど躊躇なく3人殺しておきながら、女を殺すことには躊躇い殺してからは涙を流すという、ヴィクターのただの殺人マシーンではない、人間らしさを見せられました。

 第三部はまたさらに静かに物語が進んでいきました。認知症の母親のあっちこっちする話の中に、ヴィクターの昔の様子から今に至るまでの理由などが垣間見えるという構造。ただこの辺りから頭の中の整理が追いつかなくなりました。聞いたことある単語だけどどこで出てきた単語だっけ、みたいなことが何度もあって、私の頭の中で話が完全に繋がることはなかったのですが、それでも二部から続くヴィクターの人間らしさというものがさらに見えた気がしました。結局は彼も人間なんだなと思うと、それでも人を殺していく彼が哀しくなりました。

 二部三部は、登場人物も物語も複雑でヴィクターのテンションも最高潮だった一部の盛り上がりに比べれば、静かで淡々としていてとても美しい世界でした。二部の薄明りの中話す男女という光景や、三部の窓から差し込む月明かりと風になびくカーテンはとても綺麗でした。それから音楽。全体通して物語は決して明るくはないのに、劇中や幕間に流れる音楽はテンポ感もあって明るいとまでは言わずとも、どんよりと重たい音楽やしっとりとした音楽ではなく軽やかな音楽が多いのが印象的でした。70~80年代のパンクロックやポップスを中心とした選曲らしく、だからこそ一部はヴィクターの狂気のダンスが観られたわけですが、とても不思議な感覚でした。

 カーテンコールは出演者全員が並んでお辞儀をするだけというシンプルなものでした。多くの出演者は笑顔も見せて優しい表情をしてらっしゃいましたが、松坂さんは比較的笑顔が少なかったように思いましたね。物語は重たく暗い作品でもカーテンコールは晴れやかなものをよく観てきたので少し寂しさもありましたが、ひとり出ずっぱりであれだけの役を演じられていたので無理もないかなと思いました。浜中さんは凄い笑顔で嬉しかったです。

 そういえば、マイクあったのでしょうか。とても声がリアルに聴こえていたように思いました。キャパ800人ほどでコンパクトな会場でしたし、個人でマイクは付けていなかったように思ったのですが、舞台上にはあったのかな。

 話を追いかけられなかったのは悔いが残りますが、よい芝居を観ることができました。もう一度観ることはおそらく無理なので、せめて原作本を読むかなんとかして振り返られればなと思います。